兵庫県姫路市
生矢神社の歴史と由緒について
祭神: 大国主命 須世理姫命
脇宮: 狭井社 老翁社 若宮社 荒魂社 稲荷社
当社は、播磨鑑によると行箭社として神功皇后元年九月三韓征伐の御首途播磨の湊に御船を掛けられし時、麻生山(飾東郡)より事始の箭を射させた。 それの落ちたる応に立ちし社也る故に斯号名付く。 宝暦十年まで十五百五十余年になる旧き處なりとあって、その年代はつまびらかでないが、生矢神社の起源記によれば、人皇七十七代後白河院天皇の御宇、保元三戊寅の年(皇曆千八百十八年)播磨守平清盛の崇敬祭祀している守護の明神大已賣命の神霊とあり、清盛は、嘗て安芸の国厳島神社造営の頃しばしばこの地を往来して、たまたま霊夢を感じて神動澤心に徹しこの神を三和山に崇祀し生屋大明神の御号を奉りて子孫繁栄を祈った。
その後清盛十六世の孫、関三郎兵衛永重は飯田に住み、この里の代官職を勤め三和社生屋大明神は、 わが祖清盛の勧誘にして累代の守護神とした。 しかるに度々の国乱にて既に頼破に傾く。安居して祭祀を怠るは神の庇護を忘れるおそれありとして、 ここに営殿修後の念をおこし、その由を宮庁に訴え、寛永十九壬午年十月落成した。 時に領主松平下総守清匡も深くこの神を尊崇して、 正保三丙戊年九月十日神領田として二石四斗二升を寄進した。
以来代々の領主の崇敬浅からず交代毎に相次いで神領の奉納があった。また、松平大和守直矩の家老白井頼母も常にこの神を崇信して、寛文九巳酉年社殿の修造を行いその後、氏子らで元禄六癸酉年二月九日本殿幣殿を再建し、さらに天保七丙戌年十一月二日拝殿の再営をして礼典正しく祭祀した。 昭和十六年末大東亜戦争が起こり、昭和二十年七月三日米国機により付近一帯は空爆を受けた中に当社は、ご神威あらたかにして幸いに焼失を免れた。 しかし、永年の風雨にさらされ老朽甚だしく姫路市婦人会館建設に併しこの場を造成し、昭和四十年六月十五日工を起こし、昭和四十四年十月八日本殿神楽殿の修復、幣殿の新築による移改築の落成式を挙行す。後に、昭和六十一年十月社務所改築、昭和六十三年十月若宮社、平成三年七月荒魂社、 稲荷社を改築す。平成十四年十二月参道敷石改修。
神聖な境内の主要な建造物と参拝ポイントをご紹介いたします
境内への入口となる石造りの鳥居。神域への入口として、心を清めてくぐりましょう。
参拝前に手と口を清める場所。清らかな水で身を浄めてから本殿へお進みください。
参拝者がお祈りを捧げる場所。二礼二拍手一礼の作法でお参りください。
御祭神をお祀りする最も神聖な場所。伝統的な神社建築の美しさをご覧いただけます。
参道に並ぶ石灯籠。
祭事の折にお守りや御朱印の授与、各種祈祷の受付を行っております。お気軽にお声かけください。
一年を通じて執り行われる主要な祭事をご紹介いたします
1月1日
年始を祝う祭祀のことです。歳旦祭とも呼ばれます。
2月3日
心の邪気や疫病、天災などを退散し、福を呼び込む節分。
7月 第2土曜日
半年間の穢れを祓い清める神事。茅の輪くぐりと湯立で無病息災を祈ります。
10月第2(土日)
一年で最も重要な祭事。四町の神輿練り合わせを奉納、地域が一体となります。
12月31日
一年の穢れを祓い清め、新年を迎える準備をする重要な神事です。
生矢神社へのアクセス方法をご案内いたします
〒670-0972 兵庫県姫路市手柄91
JR 姫路駅より徒歩約15分
山陽電鉄 手柄駅より徒歩約8分
姫路バイパス南より約10分
駐車場:境内に完備
大型祭事の際は臨時駐車場もご用意
神姫バス「手柄山中央公園前」下車 徒歩5分
姫路駅前より約10分間隔で運行
詳細な地図は Google マップでご確認ください